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日別アーカイブ: 2018年5月31日

「ご飯論法」とデジャヴュ(既視感)

昨今にぎやかな「ご飯論法」とは、法政大の上西充子教授が名づけた言い逃れのワザで、「朝ご飯を食べましたか」という問いに対して「(パンは食べたけど、)ご飯(=米飯)は食べていない」のように論点をすり替え、ごまかす答弁のことです。

 

国会のやり取りをネットなどでみていると、このイライラ感とやるせなさ感を以前もどこかで味わったことがあると思いました。

 

オウム真理教です。

昔、「朝まで生テレビ」を見ていて、オウム真理教信者といつもの論客との論争を見ていて残ったのは徒労感だけでした。

 

“言語明瞭意味不明”と言われた総理が昔いたぐらいですから、国会で本当の議論が深まらないことはあったのですが、それでもここまであからさまに酷くはなかったように思います。

 

多数決の横暴を止めることができるのは賢い国民である、と以前に読んだことがあります。賢い国民がいなければ止めることができないのです。

 

国民はただ納得できる本当のことを知りたいだけです。関係者全員を国会に集めて喚問すればそれで済むことなのに、都合の悪い人がたくさんいるのでしょうね。

 

新聞に『高校生の息子が、すぐわかる嘘をつく。それを指摘すると証拠を出せと言って困る、何とかしてください』と、お母さんからの投書がありました。

 

 

今後も国会で、自分に都合の悪いことが起きると『ご飯論法』でごまかす議論が続くとと思うと、若者よ日本を飛び出せ、と言いたくなります。

 

そうならないように与党・野党の若手国会議員の皆様、立ち上がってくれませんかね?