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国公立大学費年150万円に?

慶應義塾大学の伊藤公平塾長が中央教育審議会の「高等教育の在り方に関する特別部会」で「国立大学の学納金(授業料)を年間150万円程度に設定する。公立大も同様の扱いとする」と提案しました。

理由ですが、
「国公私立大の設置形態にかかわらず、教育の質を上げていくためには公平な競争環境を整えることが必要」
「これにより一部の私立大は経営努力によっては国立より低水準の学費設定で競争に参加でき、学生の経済状況に応じた奨学金や貸与制度も整備する」
ということです。

現在の国立大の学費は文科省令で標準額は年53万5800円、一方2023年度の私立大の入学者学費は平均96万円です。

2004年に国立大が法人化されて以降大学への運営費交付金は徐々に削減されています。
2024年度予算は1兆784憶円で、2004年から1600憶円減りました。

私立大の経常費補助金の2024年度予算は2978憶円で、学生1人当たりに換算すると国立大生と比較して10分の1にも満ちません。

 

今日も4校から届きました

今日も学校説明会の案内が4校から届きました。

・法政大学第二中・高等学校

・東海大学付属相模高等学校中等部

・共立女子第二中学校

・聖園女学院

オンラインとリアルの並立開催の学校もありますが、多くはリアルでの開催になります。

 

 

1日授業でした

今日は朝10:30~20:00まで振替授業と体験授業、通常授業と理科社会の試験対策授業、最後はコロナに罹った講師の代講授業ととりどりの授業をこなした1日でした。

説明会の季節です

GWがあけると私立中学・高校の校学校説明会の季節です。

今日は3校の案内状が届きました。
・横浜創英中学校
・相模女子大学中学部・高等部
・北鎌倉女子学園中学校

横浜創英中学校の工藤校長先生が退任されて本間校長先生に変わられました。
新校長が前任の校長が進めてこられた改革を引き継ぐのか変更されるのか確認しに行ってきます。

 

 

聖光学院の快挙

ネットで聖光学院が東大100人合格と躍進した理由を分析をしていました。

 

それによりますと、
①  塾いらずのカリキュラム
②  厳しい校風
③  通学時間をかけてわざわざ東京の有名進学校に通うよりも近くの立地を重視する生徒が増えたことで偏差値が上がった
との3点をあげていました。

 

3つの特徴を持つ学校で育った生徒はどんな特長があるかチャットGPTに聞いてみると自己管理、時間管理に優れた(他にもありますが)生徒と少し予想外の答えが返ってきました。

 

 

散歩日和です

今日は風も吹いていなく、桜もまだ残っていて絶好の散歩日和です。

 

教室に来るまで4組の保育園児の散歩と遭遇しました。

今年ものんびりと桜を見ながらの散歩は出来ないで終わってしまいそうです。

残り一週間です

4月になりました。

 

春期講習もあと一週間になりました。

 

能登半島地震で空けた年もはや3ヵ月過ぎました。

 

1月1日に起きたので忘れられない地震とともに1年になりそうです。

 

新学期の準備も行いながらの講習ですが、あと一週間頑張ります。

桜は全然咲いていないのですが・・・

今日は日曜日で授業は午後からなので、久しぶりに朝のジョギングをしました。90数本の桜の木の下の川沿いがコースなのですが、桜はまだ全く咲いていないのに早朝から椅子やテーブルなどを運び込んで大掛かりな花見の準備をしている集団がいました。

 

今日はあったかくなりそうなので、桜がなくとも美味しいお酒は飲めそうですね。それにしても日の光を浴びながらのお酒は羨ましい限りですね。

 

 

卒業式

今日は小学校の卒業式です。

 

昨日、卒業する6年生がスマホデビューして友達とライン交換したと嬉しそうに話してくれました。

 

ちなみに中学校の卒業式は一週間前にありました。雨が降って外での写真撮影が大変だったと3年生が話してくれたのを覚えています。

 

昨日の夕刊に能登半島地震で被災した小学6年生に向け、中学校の制服を支援する募金プロジェクトが20日まで実施されているとの記事がありました。

 

能登地方の中学の制服は夏服、冬服合わせて約6万円で体操服や指定カバンなどを含め、入学で1人あたり8万円以上かかるとのことです。

 

プロジェクトでは被害が大きい奥能登地域2市2中学に進む新1年生約300人のうち、3分の1ほどを想定して1人当たり8万円×100人=800万円集めることを目標にしています。

 

近隣の通学校では不要になった制服の展示会も開かれたとの話も聞きます。

 

大きめの制服に身をつつんで通学する新1年生の風景が見られるのももうすぐです。

 

第五福竜丸

1954年3月1日マグロはえ縄漁船・第五福竜丸はアメリカがビキニ環礁でおこなった水爆実験に遭遇し死の灰を浴びました。

 

1959年に作られた映画「第五福竜丸」(新藤兼人監督)を藤沢市のエコストアパパラギ2階で見てきました。

 

「第五福竜丸」については漠然としたことしか知りませんでしたので、新たになったことが多々ありました。
・乗組員が23人だったこと(展示された写真を見て10人ぐらいかと思っていました)
・2週間後に焼津に戻った乗組員全員の顔と体が真っ黒だったこと
・死の灰を浴びた時にスパイと間違えられると思って無線で知らせなかったこと
・半年後に東京の病院で亡くなった無線長が逝去され、遺骨とともに焼津に帰る家族に日本中の悲しみの目がそそがれたこと
・実験に使われた水爆は広島原爆の一千倍の爆発力だったこと

 

第五福竜丸は現在江東区の夢の島公園にある「都立第五福竜丸展示館」展示されています。